枚岡神社祭り’2000

2000年10月14日(木)、15日(金)


枚岡神社


天児屋根命(あめのこやめ)、比売大神(ひめ)の2神が神津嶽に祀られていたのを
650年に中臣・平岡連が現社地に移したのが枚岡神社の起源です。神津嶽というの
は「神の降臨する嶽」という意味だそうです。この神津嶽から西方に向かって下降す
る一枚(ひら)の岡(尾根)から枚岡という名前が起こったそうです。平岡と書く場
合もあります。

中臣氏(後の藤原氏)はこの枚岡のあたりを根拠地にしていたようです。778年に
経津主命(ふつぬし)、たけみかづちの命を加えて4神になりました。927年に完
成した「延喜式」の巻九神祇(神名帳)には枚岡神社の四座が載っています。つまり
式内社ですね。また河内一の宮でもあります。

710年頃には枚岡の神を勧請して奈良の春日大社が出来ました。藤原氏の氏神です。
それゆえ枚岡神社を元春日とも呼んでいます。続日本後紀には最後の遣唐使を出す時に
大使の藤原常嗣が祖神を祭る枚岡神社で航海の安全を祈った祝詞が載っています。この
時は留学僧円仁が参加し、円仁の書いた「入唐求法巡礼行記」は日本史で習いました。

中世では織田信長が焼いたようで、関ヶ原の合戦の翌々年に豊臣秀頼が再興した記録が
残っています。またこのすぐ近くが大阪夏・冬の陣で最初に家康が本陣を置いた場所です。

枚岡神社の宮入に向かう布団太鼓
東高野街道の枚岡中学近くにて



急な枚岡の坂を登る前の休憩


鳥居保育所近く



宮入を迎える枚岡神社の境内



あいにくの雨の中の宮入



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