飛鳥

2002年1月17日(木)


飛鳥へ


飛鳥へ行くのも10何年ぶりです。ひなびていた剱池の周りも住宅地になっていました。写真は蘇我氏の邸宅のあった甘樫丘頂上から見た、畝傍山です。後方には二上山も見えています。手前の集落に蘇我稲目が初めて寺を立てた豊浦寺跡(向原寺)があります。


大和三山&水落遺跡


同じく甘樫丘頂上から見た風景です。天香具山と遠くに耳成山が見えます。ここらへんが藤原京にあった場所です。手前にある家屋の裏側に水時計で有名な水落遺跡があります。




水落遺跡です。後ろに見えているのが甘樫丘で、家と家の間に白いガードレールが見えていますが、ガードレールの向こう側が飛鳥川です。
柱が立っていますが、真ん中に水時計がありました。


水落遺跡から天香具山方面に歩いているところです。耳成山が遠方に見えます。ここらへんが藤原京の 南東角にあたります。



雷丘




大君は神のしませば天雲の雷の上に廬りせるかも(人麻呂)で有名な雷丘です。
20年ぐらい前に飛鳥に来た時はタンボの真ん中にポツンと丘があったんですがね
このあたりで小墾田宮の遺物が見つかり、本当の小墾田宮はこっちにあったのではと話題になっている場所です。
ここで小野妹子の遣隋使を送るなど聖徳太子が活躍したんですね。





酒船石遺跡


甘樫丘から東方の多武峰の方を見たところです。こんもりした丘の上にあるのが飛鳥坐神社。手前の集落の右手の方に蘇我馬子が建立した飛鳥寺があります。寺から手前に道がのびて小さな広場みたいなのが見えていますがここに入鹿の首塚があります。右側のこんもりした丘の上に酒船石が、そして麓で亀型石造物が見つかりました。


亀型石造物です。1999年の酒船石遺跡第12次調査で見つかったものです。
斉明天皇の時代で道教との関連性が指摘されています。



飛鳥資料館に展示されている酒船石です。手前の出水の酒船石と組み合わせて復元されています。後ろの方に見えているのは須弥山石です。



山田寺



蘇我倉山田石川麻呂の建立した山田寺です。



回廊の外側に水が貯まっていますが、手前の小さな小川からの水が流れ込んで湿地帯になっています。このおかげで火事で焼けてそのまま倒壊した創建時の東側回廊が保存されて見つかりました。
回廊は飛鳥資料館に復元されています。




おまけ 額田鎮宅霊符神社


帰る途中に家の近くで写した額田鎮宅霊符神社です。鎮宅霊符神は北辰(北極星)を神格した妙見信仰でして、いわゆる陰陽道の世界ですね。ここらへんの字は日向(ひなむき)と呼ばれています。歴史は500年ほどで室町時代の土御門家と関係があったそうです。


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